2018年 10月 10日 ( 1 )

 

色んなものにありがとうを言いたくなる。

ずっとずっと小さいころから辛いことや悲しいことは沢山あって
自分の希望とは全然違う方向に流されながら色々と寄り道をしたりつまづいたり
だけど暫くして振り返ってみるとそれが偶然じゃなくて必然だったんじゃないかと
仕方なく選んだ道でさえ結果的にそうなるように仕向けられていたような気がする。

いや、そう思わなかったらやっていられないじゃん。、というのが本音かな。
だって時間は絶対に引き返せないものねぇ。

あの時〇〇していれば、あの時に▽△していなければ・・・・
そんな後悔の連続ではあるけれど時間が経ってしまえば全て受け入れている。
それを諦めというのか、納得というのか。あるいはただの強がりか。

ひょっとして大阪を離れなければならないと思ったら
町中のどんなものにもどんな道にもどんな景色にも一層懐かしさがこみあげて
全てのものや人に「ありがとう」と心の中で手を合わせながら
我が故郷なのに千葉という土地に不安と緊張を覚えるこの感覚は何だろう?
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19年しか居なかった千葉と、住んで37年になる藤井寺と。
その長さだけじゃなくて喜怒哀楽のたくさん詰まったこの地に別れは言い難い。

元々千葉に帰るのは親父が倒れたときか・・・くらいに考えていたのだから
今が「その時」なのかもしれないが昨夜も電話口で元気そうに話す親父の声。
そして認知症ゆえか会話の中で僕を他の誰かと間違えてる、僕を忘れてる。

一昨日はまたみんなで外食をして全部ぺろりと完食したのだという。
そういう元気なうちにそばにいて残りの時間を出来るだけ豊かに過ごす
その理屈は分かるけれど徐々に弱っていく、死に向かっていく親父の姿と
真正面から向かい合って過ごさなければならない期間は1年か?それ以上か?

(新しい家族)に譲るようにして手放した親子の時を今更に取り戻すのは
(親父の認知症もあって)もはや不可能だと知っているからこそ。
僕は大阪で新しい自分の家族が欲しかったのではないか。

僕が今更ノコノコ帰っていったら既に在る「バランス」を崩してしまうのじゃないか
とんだ迷惑をかけるのではないかと、名ばかりの「長男」は気を使っている。

故郷は遠きにありて想うもの。まさしくその通りだな。
叔母のムッちゃんが死に、おばあちゃんが死に。そして親父が倒れたら
もう僕の故郷なんてどこにも無くなってしまうんじゃないか、そう思えて仕方ない。
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そう言いながら、今日もコソコソと部屋の片づけや不用品の整理をしている。
世の中は・・・いや、僕という人間は矛盾に満ち溢れている。うん。
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by beach_house_2 | 2018-10-10 23:32 | 日記 | Comments(0)